もし私がもう一度人生を生き直せるなら、芝生が傷むのを気にしたりせず、いくらでも子どもたちと芝生の上に座っていることでしょう。
by エルマ・ボンベック
あなたは、余計な気遣いや心配をしていませんか?
見出しの言葉は、アメリカの作家 エルマ・ボンベックの言葉です。
芝生が傷むのを気にするのではなく、芝生を有効活用して、座ったり、飛んだり跳ねたりするべきだと述べた深いメッセージですね。
例えば、あなたがきれいに整備された芝生の広場に来たとき、飛んだり跳ねたりできますか?
それとも、芝生が傷むのを恐れて、芝生の中に入れずに見ているだけですか?
芝生はゴルフ場や公園、庭園等に使用され、人に踏まれることを前提に活用されるものですよね。
芝生の上に座ったり、寝転がったりすると、とても気持ちよいですし、子どもたちにとっては大喜びするような場所になります。
しかし、芝生がきれいに整備されているからといって、芝生が傷むのを恐れて、中に入らずにただ見ているだけだとしたら、そんな愚かな行動はないでしょう。
もしも、芝生の持ち主が、「芝生が傷むから中へ入るな」と命令したとしたら本末転倒であり、それこそ誤った言動だと言えます。
もちろん、これは芝生に限った話ではありません。どのようなモノに関しても言えます。
モノの価値や本来の目的、利用方法を忘れて、「使うのがもったいない」とか「傷つかないようにしよう」などと考え、モノを有効活用しないなんて、そんな行動こそ、もったいないと思います。
モノは、それを有効に活用するからこそ、価値があるのであり、本来の目的を果たすことになるのです。
「傷つけたくない」とか「きれいなままの状態を保ちたい」などという気持ちは、理解できなくもありませんが、モノの価値とはそういうことではありません。
例えばクルマは乗るために、そして運転するために存在するのであって、傷むのが嫌だからと、家の中に飾っておくなんて無意味ですよね。
それに、モノというのは、たとえ使わなくても年月を経るごとに傷んでいくものなのです。
傷むのが嫌だと思うこと自体がナンセンスだということを、常に意識しておきたいものですね。
この世に存在するモノの中で、永遠に壊れないもの、傷まないものなんて存在しないのですから。