愛の反対は憎しみではない、無関心だ。
by エリ・ヴィーゼル
あなたは、無関心でいることに罪悪感を感じませんか?
タイトルの言葉は、ハンガリー出身のアメリカの作家 エリ・ヴィーゼルの言葉です。
愛することの反対は憎しみではなく無関心だと述べた深いメッセージですね。
読者の皆様は、愛の対義語、反対をご存知でしょうか?
人を愛するということは、その人のことを大切に思い、愛おしく思う気持ちなので、その反対は憎しみだと思うかもしれません。
辞書で調べれば、「愛する」の対義語は確かに「憎む」なのは間違いないのですが、アメリカの作家 エリ・ヴィーゼルは、無関心も愛の反対だと述べています。
人を憎むという感情は、相手を深く忌み嫌い、ときには復讐しようという気持ちになってしまうものであり、その人にとっては大きな悩み、苦しみの原因ともなり得る感情です。
人を愛することは大きな喜びであり、気持ちを豊かで幸福な気持ちにさせてくれるので、人を愛することと憎むことは正反対の言葉であることは間違いないでしょう。
しかし、無関心でいることも愛の反対語なのも事実です。
なぜなら、無関心とは、その人を大切に思わない気持ち、何も関わろうとはしない気持ちなので、やはり愛とは正反対の言葉と言えるのです。
相手を愛していないということが、必ずしも相手を憎んでいるとは限りません。
むしろ無関心であることの方が圧倒的に多いはずです。
無関心ということは、大きな悩みや苦しみに発展することはないわけですが、相手を大切に思わないという意味において、愛することとは真逆の感情ということになるのです。
人を憎んだり、恨んだりすることは悪いこと、ダメなことであることは皆が知っていることと思いますが、無関心でいることも決して褒められる感情ではないのです。
例えば、犯罪を犯している人を見て見ぬふりをしたり、困っている人がいるのに手助けししようとしないことがあるとすれば、あなたは平気でいられるのでしょうか?
人を憎むことがいけないことだとすれば、無関心でいることも同じように良くないことだとも言えるのです。
愛の反対は無関心であるということを、これからも心の中で意識しながら生きていきましょう。
SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が提唱している世界共通の行動目標です。
SDGsの活動は、地球や人類を愛するという気持ちを持って実践している人が多いことと思います。
活動していない人は、SDGsに批判的、反対の人ではなく、そのほとんどが無関心だと言われています。
つまり、地球や人類の未来について、本気で考えていないか、深刻にとらえていない人だと言えるわけです。
SDGsを批判したり、反対するような人はごく少数であり、全く関心を持っていない人の方が圧倒的に多いというのは容易に想像できるでしょう。
私たちに必要なのは、現状のままの状態が続けば、地球と人類の未来は決して明るくはないということを忘れないことです。
私たちに何ができるのか、何をすべきなのか、改めて考え直していきたいものですね。
決して無関心でいることのないように。