偉人、著名人

僕は今まで説教されて改心したことが一度もないし、説教している人を偉いと思わない

僕は今まで、説教されて、改心したことが、まだいちどもない。説教している人を、偉いなあと思ったことも、まだ一度もない。by 太宰 治

人に説教されたとき、あなたはどんな気持ちになりましたか?
誰かを説教しているとき、どんな気持ちですか?

この言葉は、太宰治の小説「正義と微笑」の中に出てくる言葉で、説教に対する人の気持ちを見事に表現した名言です。

説教とは一般的に、例えば親が子へ、上司が部下に、先輩が後輩に言って聞かせることを指しますが、もともとは宗教の教えを説くこととされています。

だれかを説教しているとき、人はその人を見下しながら自分に酔いしれている状態です。そして、相手の立場や本当の気持ちを考えることなく、自分勝手な解釈や理屈で話していることが多いのが実情です。つまりは自己満足で説教していることがままあるのです。

説教されている方も、表情はしんみりと聞いていても真剣に聞いているとは限りません。もしかしたら腸が煮えくり返っているかもしれないし、「的外れなことを言っているなあ」とか、「しつこいなあ」とか、冷めた目で説教をしている人を見ているかもしれません。

あなたも経験ありませんか? 誰かに説教されているとき、ありがたいと思いながら真剣に聞いていますか? おそらく「早く終わらないかなあ」と思いながら嫌々聞いていたはずです。

人は過ちを犯したとき、たいていの人はその過ちに気付いているものです。説教とは「そんな事は言われなくてもわかっている」状態なのです。そのため、いくら偉ぶって説教を始めてもほぼ効果はないのです。

長々と説教を始めることは、たいていは時間の無駄です。心に留めておきたい名言ですね。

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