愛とは与えるものでも、与えられるものでもありません。人と人との間に、泉のように自然に湧き出るものです。
by 鈴木秀子
あなたにとって愛とは何ですか?
見出しの言葉は、カトリックの聖心会の修道女で、著作家でもある鈴木秀子氏の言葉です。
愛とは、与えるとか与えられるとかではなく、人と人との間に泉のように自然に湧き出るものだと述べた深いメッセージですね。
皆様は、「愛」について考えてみたことはありますか?
人を愛するとか、愛されるとか、映画やドラマのセリフではよく聞く言葉ですし、愛という言葉の意味を全く理解できない人はいないはずです。
意味としては、人を思いやる気持ちとか、大切にしたいと思う気持ちのことを「愛」と呼んでいるような気がします。
カトリックの修道女である鈴木秀子氏は、愛とは与えるとか与えられるというものではないと述べています。
「与える」という言葉には、自分の利益を犠牲にして、相手に施しをしてあげるというニュアンスがあるわけですが、愛とは本来、自分を犠牲にすることではなく、自然に泉のように湧き出てくるものだと述べているのです。
「相手にしてあげよう」という意志を持って行動するのではなく、自然に湧き出てくるのが愛だということです。
例えば、母親が子に対する愛情は、「自分を犠牲にして子供のために尽くそう」と思っての行動ではなく、「この子を大切にしたい、守りたい」という気持ちが自然に湧いてきて起こる行動だということです。
つまり、意識して行動するのではなく、無意識のうちに、潜在意識の中で生まれてくる感情であり、行動だということになるわけです。
それこそが本当の意味での「愛」ということです。
私たち人間の心、潜在意識には、必ず「愛」があります。
その愛を大いに発揮して、これからも豊かで充実した人生を歩んでいきたいものですね。
SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が定めている世界共通の行動目標です。
SDGsの活動は、人間による「愛」の行動だと言えるものです。
しかし、愛とは本来、与えるものではなく、自然に湧き出てくるものであるとすれば、困っている人々を救済しようとか、施しを与えようという考えは、間違っているのかもしれません。
自分の心の中で、何とかしたいという思いが自然に湧き出てきたのであれば良いのですが、「かわいそうだから助けてあげよう」とか、寄付をしようとする気持ちがあるとすれば、それは本来のSDGsの活動とは言えないのかもしれません。
「助けてあげよう」という気持ちは、尊いことであり、素晴らしく優しい気持ちであることは否定しませんが、立場上、「上から目線」のような気持ちが垣間見えてしまい、それでは本来の意味での救済、改善にはつながらないのです。
人は本来、上下関係とか主従関係などありません。
そしてそれこそが、人と人とを結びつける「愛」そのものだとも言えるのです。
この世の中が、愛であふれる世界になることを願うばかりです。