「要領よく、わかった気になっていて、なにも自分で障害を乗り越えていない」それこそ、長い目で見たら時間のムダそのものなのです。
by 西成活裕
あなたは要領よくわかった気になってはいませんか?
見出しの言葉は、東京大学教授で数理物理学者の西成活裕先生の言葉です。
要領よくわかった気になって、何も努力しようとしないことこそ、時間の無駄そのものなのだと述べた深いメッセージですね。
あなたの周りには、何をするにも要領がよく、何でも器用にこなしている人はいませんか?
もしかして、あなた自身がそういう人ではありませんか?
もしもそういう生き方をしているのでしたら、気をつけたほうがいいかもしれません。
仕事をする上でも、要領よく器用にこなす人がいるものです。
しかし、そういう人は、人の真似をしたり、自分ではわかったつもりでいて、ただ単に作業をしているだけであって、本当に正しい仕事をしているとは限りません。
要領のいい人というのは、ときに自分だけ楽をしようとか、嫌なことは他人にやらせようという気持ちが働いて、自分では何も努力していないことも多いからです。
要領がいいということが決して悪いことではありませんが、自分だけが楽をしようとしたり、卑怯でずるい気持ちがあるかもしれないということも忘れてはいけません。
頭の回転が早いとか、器用にこなせることはとても良いことです。
しかし、嫌なことは他人に任せて自分は楽をするとか、自分は努力をしないという気持ちがあるなら、そんな人は何をするにしても成長できませんし、時間の無駄だということになります。
私たちは、仕事を通じて、できないことができるようになったり、障害を乗り越えて自分の身体で覚えるということが必要であり、経験を積み重ねるからこそ、成長できるのです。
そんな経験をしていない人というのは、何も成長できず、時間の無駄だということになります。
例えば、何も勉強しなかった人が、カンニングをして良い成績をとったとしても、全く意味がないのと同じなのです。
一生懸命努力して良い成績をとった人と、カンニングをして良い成績をとった人とでは、同じ点数だったとしても、全く違うのは明らかです。
何でも要領よくすれば良いということではないのです。
要領がいいというのは、ときに卑怯でずるい人間の行動の一つの現れとも言えます。
カンニングのテクニックを覚えるくらいなら、一生懸命に努力したほうが自分のためになりますし、時間を有意義に使うことになるのです。
要領がいいことが決して人生のプラスになるとは限らないことは、意識したほうが良いでしょう。
