障害者は「劣っている」わけではない。「違っている」だけなのだ。
by 乙武洋匡
あなたは、障害を持つ人々をどんな目で見ていますか?
タイトルの言葉は、「五体不満足」の著者で知られる乙武洋匡氏の言葉です。
障害者というのは、健常者に比べて劣っているわけではなく、単に違っているだけなのだと述べた深いメッセージですね。
私たちが、障害を持つ人々に対してどんな対応をすべきか、社会がどう受け入れるべきかを考えさせられるような、胸に突き刺さるような言葉だと思います。
私たちの周りには、いわゆる「障害者」と呼ばれる人々が少なからずいます。
目の不自由な方や耳の不自由な方、手足が不自由な方など、部位は異なれど、街なかや職場にこういった「障害者」の方をよく目にすることがあると思います。
また、こうした人々と深い関係を持ち、友人関係、家族にいるという方もいることでしょう。
私たちは、障害を持つ人を見ると、健常者よりも劣っている人と見てしまう人が多いことと思いますが、それは誤った見方と言わざるを得ません。
単に違っているだけだということを認識しましょう。
目の不自由な方は、「見る」ことが苦手なだけなので、点字を使えば文字を読むことができます。
耳の不自由な方は、「聞く」ことが苦手なだけなので、手話を使えばコミュニケーションを取ることができるわけです。
健常者と呼ばれる私たちにもそれぞれ、苦手なことはあるはずです。
運動が苦手な方もいれば、絵が苦手な方、歌が苦手な方がいます。
人は皆それぞれ、苦手なものがあるわけで、障害者の方と何も変わらないのです。
私たちよりも運動神経のいい障害者も世の中にはたくさんいて、パラリンピックで大活躍している人もたくさんいるのです。
「健常者」と「障害者」に分けること自体、無意味と言えます。
私たちは、障害を持つ人を見ると、つい憐れみの目で見てしまいますが、私たちよりも感性が豊かだったり、知性が豊かで素敵な人もたくさんいます。
劣っているとか哀れに思うなんて、偏見なのです。
私たちよりも幸せに生きている人もたくさんいるのです。
私たちとしては、「健常」とか「障害」などと特別視することなく、どんな人も普通に受け入れられるような社会を築くことが大切です。
SDGsにも、目標3「すべての人に健康と福祉を」が掲げられており、どんな人々も平等で充実した福祉を享受でき、社会の中で受け入れられる社会を目指しているのです。
どんな人々も平等で充実した社会を享受できるような世の中を築いていけるよう、私たちも意識し、努力しながら生きていきましょう。
