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修道衣を着ていても修道士とは言えない。by イタリアのことわざ

修道衣を着ていても修道士とは言えない。
by イタリアのことわざ

あなたは、外見だけよく見せようとしていませんか?

タイトルの言葉は、イタリアのことわざです。
たとえ外見が立派であっても、中身が大事だと述べた深いメッセージですね。

修道士とは、キリスト教の教会において、キリスト教の教えを守り、信仰生活を送る人のことであり、仏教で例えれば、修行僧、僧侶と同じような人ということになります。
修道士は、教えを守り、禁欲生活を送っているわけですが、常に修道衣を着て生活しています。
僧侶で言えば袈裟のようなものですね。

したがって、修道衣は、通常であれば普通の人が着ることはなく、修道衣を着ていれば、みな修道士だと思われてしまうわけです。
しかし、修道士ではない人が、何かの理由で修道衣を身に着けてしまえば、周りの人から見れば、「あの人は修道士だ」と勘違いされてしまいますよね。
つまり、人は外見に騙されてしまうというわけです。

どんなに立派な身なりをしていたとしても、その人が立派な人とは限りません。
服装だけではなく、アクセサリーなどの持ち物にも同じことが言えます。
虚栄心が強く、自分を大きく見せようとする見栄っ張りな人間であれば、高価で立派なものを身につけることは容易なことです。
外見が素晴らしいからといって、立派な人間だと勘違いしないようにしましょう。

反対に、外見があまり良くない人を見て、「この人はたいした人物ではない」と判断するのは、早合点と言えるかもしれません。
常に学習意欲にあふれ、努力をしている人の中には、外見をあまり気にしない人が多いからです。
着るものや身に着けるものに、何のこだわりもなく、安い服や物しか持っていないけれど、とても偉大で立派な人も大勢いるわけです。
見た目だけで人を判断するのはやめましょう。
とは言っても、人は外見で物事を判断しがちなので、あまりみすぼらしい格好はしないほうが良いとは思います。
人を外見で判断してはいけないとは言いつつも、外見をまったく気に留めないというのも、人が生きていく上で、あまり得策とは言えません。

見栄を張って、高価なものを身に着けるのではなく、身の丈に合ったもの、普通の格好をするということは、忘れてはいけないことです。
心構えとして、常に意識しておきましょう。

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