清く貧しい家庭に育った子供は裕福な家庭の子供と違い、かけがえのない宝物を与えられている。
byアンドリュー・カーネギー
あなたはどんな家庭で育ちましたか?
見出しの言葉は、アメリカの実業家で鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーの名言です。
子供の頃、決して裕福ではなかったカーネギーの述べた深い名言ですね。
世の中には裕福な家庭もあれば、貧しい家庭もあります。
誰もが裕福な家庭に憧れ、羨ましく思うものですが、貧しい家庭には裕福な家庭では得られないかけがえのない宝物が与えられているとカーネギーは述べています。
裕福な家庭には、お金やモノはたくさんあるのですが、人間にとってそれだけが財産と呼べるわけではありません。
例えば、貧しい人々には、強く生き抜くための知恵や、貧しい者同士で助け合う隣人愛など、裕福な人々には想定できないような経験をすることができます。
また、生きていくために、もしくはお金を稼ぐために努力しようという強い精神力も自然に育まれていくのが貧しい人々の特徴とも言えます。
裕福な家庭の人々は、貧しい人々の苦労や困難を知らずに、人間としての努力や世間一般の常識などを知らない人も多いというわけです。
親から甘やかされて育った子と、世間の冷たい風に耐えながら育った子では、人間的な社会適応能力も違ってくるのは当然なのです。
自分が貧しい家庭で育ったことを不平に思うのではなく、むしろ人間的に成長できると考え、強く生きていきたいものです。
SDGsの目標1には「貧困をなくそう」、目標2には「飢餓をゼロに」が掲げられています。
世界には、貧困や飢餓で苦しんでいる人々がたくさんいます。
貧しい人々を減らすように改善していこうというのがSDGsの概念ですが、どうやってそれを解決していくかが問題です。
それに、貧しい人々には私たちが想定できないような宝物をたくさん持っているかもしれません。
その人達の育った環境によって、強く生きていくための知恵や精神力、愛情をいっぱい持っているはずです。
私たちは、単にお金やモノを送ることが解決につながると考えがちですが、決してそうではないのです。
貧しい人々の考え方や何を求めているのかをよく考え、何をすることが彼らのためになるのかを真剣に考える必要があるのです。