怒りにとらわれるのは、自分が毒を飲んで相手が死ぬことを期待するようなもの。
by ブッダ
あなたは、怒りの感情でいっぱいになっていませんか?
タイトルの言葉は、仏教の始祖 ブッダの教えの一つです。
怒りにとらわれてしまうのは、自分を苦しめる行為そのものであり、無意味で愚かなことだと述べた深いメッセージですね。
私たちは人生の中で、誰かを憎んだり、人に対し怒りの感情でいっぱいになってしまうことがありますよね。
強い感情の場合、「あんな奴、いなくなってしまえばいい」などと気持ちが爆発し、相手の死を願ってしまうこともあるかもしれません。
しかし、怒りの感情は自分が冷静な状態ではなく、自分が苦しんだり、異常な状況にあるということだけは理解しましょう。
もしも、自分が怒りの感情でいっぱいになり、相手が平静な状況にあるとしたら、第三者から見てどちらが利口で賢明な人間なのかは一目瞭然です。
つまり、怒りとは自分が異常な状態、苦しい状態にあるだけで、相手を苦しませるわけではないのです。
例えば、あまりにも怒りの感情が大きすぎると、仕事が手につかなかったり、夜、眠れなかったりした経験は誰もがあることと思います。
怒りの感情は、自分の心をコントロールできていない状況であることの証であり、何にもいいことなどないということになります。
怒りとは、相手の言動によって起こるものだから仕方がないのだと思っている人もいるかもしれませんが、絶対にそんなことはありません。
もしもあなたが、誰かの言動に憤慨し、怒りを爆発させているとすれば、それは自分の心を相手にコントロールされている状況であり、自分でコントロールできていないことの証なのです。
自分で気持ちを抑えることができれば、相手がどんな言動をしても、それに振り回されることはないはずで、怒りの感情など起こり得ないと言うことになります。
もしも、怒りの感情があふれそうになったときこそ、自分の気持ちを制御し、冷静になるように努めてみてください。
そして深呼吸しながら冷静になり、そのことはすぐに忘れるように意識すれば良いのです。
怒りを爆発させて、自分の心を見失うことのないように、今後も冷静沈着に、賢明に生きていきたいものですね。