責任を問わぬ優しさは、組織の弱体化を招く。
by パトリック・レンシオーニ
あなたは、大きな失敗や過ちを犯してしまったとき、責任を取っていますか?
タイトルの言葉は、アメリカのビジネス書作家 パトリック・レンシオーニの言葉です。
失敗や過ちの責任を問われない、もしくは責任を取らないような組織は弱体化するのだと述べた深いメッセージですね。
もしも会社などで不祥事が起こったとき、トップである代表取締役が責任を取って辞任するという報道を見たことがある人も多いことと思います。
不祥事を起こした本人はもちろんのこと、その上司や会社のトップである社長が、監督責任、経営責任を取ることは、ビジネスの世界ではよくあることです。
もしも不祥事を起こしたり、大きな失敗や過ちを犯してしまった場合、その責任を取るというのが社会人として、組織として取るべき姿勢ではあるのですが、そうではないケースもあるようです。
不祥事を起こした本人が、とても優秀な人物であったり、組織として不祥事そのものを隠蔽しようと考えた場合、誰も責任を取らずに、まるで何も問題がなかったかのように処理してしまうこともあるのです。
そういったことをすれば、そこから当該組織は弱体化し始めます。
不祥事をなかったことにしたり、見て見ぬふりをするということは、何をやっても許される組織だということになるからです。
「法には反するが、ここまでならやっても許されるだろう」という機運が組織内にはびこり、規範意識が薄れてしまう恐れがあります。
また、だれも責任を問われないということは、誠実に仕事をこなしている人にまで悪影響が出たり、モチベーションが下がってしまう恐れも高いのです。
たった一人の不祥事であっても、周りの人に影響を及ぼし、やる気やモチベーションの低下、規範意識が希薄になってしまう恐れが高いのです。
そうして、組織はどんどん弱体化していきます。
責任を問われないということは、一見すると優しさのように感じてしまいますし、責任を取らされる人を気の毒に感じてしまうことも多いですが、取るべき責任をきちんと果たすことが組織の強化につながるのです。
失敗や過ちを見過ごしたり、責任を問わないことは決して優しさではありません。
責任を取らせることで、組織として連帯意識が強くなったり、より引き締まったりすることも多いのです。
組織としてはもちろん、個人の意識としても決して忘れてはならないのです。
