よごれたる 手を洗いし時の かすかなる満足が 今日の満足なり
by 石川啄木
あなたは、ささやかな幸せを感じていますか?
タイトルの言葉は、歌人、詩人である石川啄木の詩の一節です。
汚れた手を洗って、きれいになったときの、ほんのささやかな満足を噛みしめている深いメッセージですね。
石川啄木は、幼少の頃から体が弱く、家も決して裕福な家庭ではありませんでした。
しかし、学校での勉強の成績は優秀で、幼い頃から文学に関心が高かったようです。
そんな啄木が詠んだ詩の一節が、今回紹介する言葉です。
汚れた手を洗っていると、手がきれいになる。そんなかすかな喜びに満足し、今日は良いことがあったと満足する。
日常における本当にささやかな出来事ですが、それに満足し、小さな幸せを感じているという気持ちを表現した詩です。
手を洗うためには、石鹸と水が必要です。
たとえ家が貧乏でも、石鹸と水が使えて、手を洗うことができることに感謝し、手を洗うことによって、自分の手がきれいになり、ご飯を食べることができることに感謝する。
こんな小さな幸せを感じながら生きている人は、今の日本にいるでしょうか?
私たちが、こうして普通に日常生活を送ることができるのは決して当たり前ではないのです。
当たり前だと思えることでも、平穏に暮らせる社会に感謝しながら生きていきたいものです。
SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が定めている世界共通の行動目標です。
SDGsの目標1には「貧困をなくそう」、目標6には「安全な水とトイレを世界中に」が掲げられています。
石川啄木が生きていた時代は、もう100年以上前ですが、貧困も安全な水とトイレも地球上の問題としてまだ解決されていません。
世界には、貧困で苦しんでいる人々が大勢存在していますし、安全な水を使えず、トイレさえも使えない人々が大勢いるのです。
貧困には、戦争やテロで住む場所を失った人、働く場所を失った人もたくさんいます。
つまり、当人たちの怠惰な性格が原因で貧困になったわけではなく、彼らにはまったく罪はないのです。
それに、日本では、蛇口をひねればきれいな水が使えますし、トイレはどの建物にもあり、普通に使うことができますが、水やトイレさえも使えない人々が世界中に本当に大勢存在するわけです。
水やトイレが使える、お店に行けば食料や日用品が変えることは、決して当たり前ではなく、恵まれた環境、社会で生きていられるということです。
私たちは、こんなささやかなことにも大いに感謝するとともに、恵まれない環境にいる人々に、どう手を差し伸べればよいか、真剣に考えてみましょう。