常識の延長線上に世界一は絶対にない。非常識の延長線上にしか世界一はない。
by 松平康隆
あなたは常識にばかりこだわってはいませんか?
タイトルの言葉は、元バレーボール選手で、ミュンヘンオリンピックにおいて、男子の日本代表監督を務め、見事、金メダルへと導いた松平康隆氏の言葉です。
世界一を目指すことは、常識の延長線上にはないのだと述べた深いメッセージですね。
皆様は、「常識」という言葉の意味はよくご存知のことと思いますが、常識にばかりにこだわっていたら、そこから抜け出すことができず、上へ上へと目指すことはできないということがあるようです。
特に、スポーツで世界一を目指そうとする場合には、「常識」を打ち破り、非常識なことに取り組まなければならないのは間違いないでしょう。
「常識」というのは、過去の経験や知識といったものから生まれくるものです。
「こうすることが正解だ」とか「こうすることが望ましい」といったものであり、それを越えて実行することは、やり過ぎとなり、いわゆる「非常識」ということになります。
常識さえ守っていれば、大きな失敗をすることはないかもしれませんが、それ以上は成長できないのも事実としてあります。
例えば、プロ野球の世界では、ピッチャーとバッターは両立できないとされていました。
ピッチャーとして優れた能力のある選手は、決して良いバッターにはなれないという、いわゆる「常識」があったわけですが、大谷翔平選手がそれを見事に打ち破りました。
そして、現在では、ピッチャーとバッターが両立して優れた能力を発揮できる「二刀流」を目指している野球少年たちがたくさんいることも事実です。
常識ばかりに目を向け、非常識なことはやらないというのは、無難な人間、凡人の発想であって、とてつもない大いなる目標を立てている人には「非常識」なことこそ、「常識」なのかもしれません。
「あなたは非常識だ」と言われたら、凡人であれば憤慨しますが、非凡な人は違うのかもしれませんね。
SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が発表している世界共通の行動目標です。
SDGsの活動においては、いわゆる「常識」的なことをすれば良いのだと考えがちですが、どうもニュアンスが異なるようです。
「常識」と言われるような過去の人間の行動が、現在社会において、人権侵害や環境問題を引き起こしているのであって、何が常識で何が非常識かの区別が明確ではないと考えられるからです。
例えば、貧困や飢餓で苦しんでいる人々が、現在でも数多く存在しているわけですが、かつての世界では、「それは仕方のないこと」と捉えられていたのです。
しかし、SDGsの目標に掲げられているのは、貧困や飢餓が解消しなければ持続可能な社会は実現しないということであり、現在においては、それが「常識」なのです。
私たちに必要なのは、「常識、非常識」で物事を見るのではなく、何が正しくて、何をすべきなのかを考え、行動を起こすことなのかもしれませんね。