服装が僧侶をつくるわけではない。
by スペインのことわざ
あなたは、外見で物事を判断していませんか?
タイトルの言葉は、スペインに伝わることわざです。
僧侶は、艶やかで立派な服装を着ているわけですが、立派な服装をしているからといって、立派な人間だとは限らないのだと述べた深いメッセージですね。
私たちは、身なりが立派な人を見ると、この人は立派な人に違いないと思い込んでしまいます。
高級そうな服を着て、高級そうな靴を履き、高級そうなバッグを持っている人を見れば、立派な人かどうかはともかく、「この人はお金持ちに違いない」と思い込んでしまうわけです。
服装だけではありません。
大きな家や車を所有していれば、やはり富裕層の人だと思ってしまいますよね。
しかし、服装や持ち物を見ただけで人を判断してはいけません。
立派な服装をしているからと言って、その人が皆から信頼され、尊敬される人物とは限らないからです。
立派な服装をしているのは、親や親族が立派な人で、当の本人はその恩恵を受けているだけで、本当は怠け者で何もできない人かもしれません。
また、虚栄心の強い人で、お金もないのに見栄を張って、借金をしてまで購入したものかもしれませんし、もしかしたら、誰かから盗んだものかもしれません。
また、安価な服装をしているからと言って、人間的に劣っている人とは限りません。
優秀な人であっても、身なりに無頓着な人はたくさんいますし、他にやるべきことがたくさんあって、まったく服装に気を使わない人も大勢いるからです。
外見だけで人を判断するのはあまり意味がありません。
人を判断できるとすれば、その人の普段の考え方や行動であって、服装や持ち物ではないのです。
研究熱心で立派な功績を持つ大学教授が、普段は汚れてもいいような安価なシャツやズボンを着用しているのはよくある話であり、服装と人格とが全く釣り合わない人も、社会にはたくさんいるのです。
高級なものばかり持っている人は、良い意味でも悪い意味でも虚栄心の強さが現れているわけで、他人の目を気にし過ぎたり、自己満足しているに過ぎないとも言えます。
人を外見だけで判断するのではなく、相手の考え方や行動を見て、その人がどういう人かを見る洞察力が試されるのです。
