礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行う。
by 新渡戸稲造
あなたは、きちんと礼儀作法を重んじていますか?
タイトルの言葉は、「武士道」の著者で知られる教育者、思想家の新渡戸稲造氏の言葉です。
礼儀とは、相手に対する慈愛と自分に対する謙遜によって生じるものなのだと述べた深いメッセージですね。
私たち人間社会には、礼儀や作法といったものがありますよね。
日本でも、あいさつの仕方やお辞儀、屋内に入るための作法など、礼儀作法といったものが確立しており、私たちはその作法に従って行動しなければなりません。
また、年長者に対する言葉遣いや、敬意を込めた作法も存在します。
こういった礼儀作法は、国や地域によって違いはありますが、どこの世界でも相手に対する礼儀やマナーと言ったものがあるわけです。
なぜ礼儀作法というものがあるのか、教育者で思想家の新渡戸稲造氏は、「礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行う。」と述べています。
つまり、礼儀とは、相手があって初めて成立するものであり、自分ひとりでは成り立たないものなのです。
自分一人の場合には、だれもそれを咎める人がいませんし、だれかを不快にさせたり、怒らせることがありませんので、至極当然のことです。
礼儀とは、相手に対する慈愛の気持ち、つまり、相手のことを大切に思う気持ちがあること、それと自分に対する謙遜の気持ち、つまり、自分を控えめにする気持ちがあることが動機になります。
どんなに相手のことを大切に思っていたとしても、自分は相手よりも立場が上だとか、偉いんだという気持ちがあれば、礼儀は成立しません。
したがって、礼儀は、慈愛と謙遜の両方が必要だということになります。
例えば、子供に対しては横柄な態度を取る大人が多いわけですが、子供のことを大切に思う気持ちがあっても、自分に謙遜の気持ちがなければ礼儀は成立しないのです。
もしも失礼な態度をとるような、礼儀がなっていない人がいるとすれば、「相手のことを大切に思っていない」、そして、「自分を控えめに見ていない」、いづれか、もしくは両方の場合なのです。
初対面の人に対して私たちは、ある程度の礼儀を持って接する場合が多いですが、何度も会って、交流を続けていくと、相手の立場や性格がわかって、礼儀がなくなってしまうこともあります。
したがって、時間の経過とともに、礼儀そのものが変わることも多々あるのです。
しかし、礼儀とは、慈愛と謙遜の精神がなければ成り立ちませんし、たとえ身近な人であっても、相手を尊重する気持ちは忘れてはいけないと思います。
今後も、礼儀というものの重要さを深く認識し、円滑な人間関係を築けるように努めていきましょう。
