失っても差し支えないだけを貸し与えよ。
byジョージ・ハーバート
あなたは、人にモノやお金を貸したり与えたりしていますか?
タイトルの言葉は、イギリスの詩人で司祭でもあるジョージ・ハーバートの名言です。
私たち人間は、多くの財産を持っている人もいれば、ほとんど財産を持っていない人もいます。
それは、自分の能力によって財産を作り上げた人もいれば、家族に恵まれたおかげで財産を持っている人もいます。
そんな社会の中で、ジョージ・ハーバートは、ある程度の財産を持っている人は、自分の生活に差し支えない程度の財産を、困っている人に貸したり与えたりしなさいと説いています。
そうすることによって、多くの人が救済され、豊かに生活できる人が増えて、社会全体が豊かになるというわけです。
もちろん自分の生活が苦しく、困っているときにまで他人に財産を与える必要はありません。
自分自身も含め、すべての人間は幸福で健全な生活をする権利があるからです。
文明が未発達だったかつての人間社会においては、困っている人がいれば皆が助け合い、寄り添い合いながら生きていました。
例えば、飢饉が起きれば、それは村全体が貧困状態になってしまうことになるため、皆で飢饉を脱すべく知恵を出し合って乗り越えていったのです。
みんなで分け合い、助け合って生きていく。一部の村人を排除するという考えはなかったわけです。
しかし、文明が発達した現代社会においては、富める者はますます財産を増やし、貧しい者はいつまでたっても貧しいままという社会が当然の現実として顕在化しているわけです。
このような社会がまかり通っていることは、不健全でかつ不幸な世界であることは言うまでもありません。
SDGsの目標1は「貧困をなくそう」、目標2は「飢餓をゼロに」です。
現代社会は、貧富の差がますます広がり、世界の富豪上位8人の資産の合計が、世界の最も貧困な人々36億人の資産と同等だと言われています。
およそ半分の人口の資産の合計が8名の資産家の資産と同じ規模なのです。
これは社会の歪みと言わざるを得ません。
富める者は、困っている人を助けて、貧しい人々をなくし、社会全体を豊かにしていくという考え方は、本来の人間社会では当たり前でした。
村人は皆家族だから、助け合うのが当たり前だった社会が、現代ではそんな考え方はすっかりなくなり、「他人のことはどうでもいい」「他人を信用してはいけない」という社会になっているのは、本来なら不健全な社会と言えるのです。
幸福で健全な社会とは何か、もう一度よく考えてみましょう。