たいていの人は、剣によるよりも、飲みすぎ、食いすぎによって殺される。
by ウィリアム・オスラー
あなたは、飲み過ぎ、食べ過ぎに留意した生活をしていますか?
タイトルの言葉は、カナダの医学者 ウィリアム・オスラーの言葉です。
私たちの死因は、剣ではなく、飲み過ぎや食べ過ぎなど、食生活によることがほとんどだと述べた、深いメッセージですね。
私たち人間社会は、昔と比べるとずいぶん栄養状態が良くなり、美味しいものにあふれている世の中になりました。
日本は、諸外国と比べて食料自給率が低いと言われていますが、それでもスーパーマーケットへ行けば、食料品にあふれている状況であるばかりか、フードロスが大量に発生するなど、食糧の無駄遣いが顕著に表れている社会とも言えます。
そんな食糧にあふれている社会ということは、飲み過ぎや食べ過ぎをする人々も増えているということであり、人の健康を害する主な要因ともなっているというわけです。
私たちの命を脅かしているのは、皮肉にも食料品ということになるわけです。
食べ過ぎや飲み過ぎはもちろんのこと、栄養の偏りや運動不足など、私たちが病気になるのは、自分たちの誤った生活によって引き起こされているということになります。
食生活が豊かになったのですから、本来ならば人はもっと健康にならなければなりません。
昔と比べて寿命は伸びていますが、それは医療技術の発達によって伸びているわけで、昔は存在しなかった病気や感染症が、現代では当たり前のように発症し、人を苦しめているとすれば、社会として放置するわけにはいかないのです。
私たちが平穏に生きていくためには、健康でいることが基本です。
食べ過ぎや飲み過ぎによって病気になるような生き方が賢明とは言えないのは当然のことであり、自分の身体は自分で守ることの基本的な生き方と言えるのです。
自分がどんな生き方をすべきなのか、改めて考え直してみたいものですね。
SDGsの目標1は「貧困をなくそう」、目標2には「飢餓をゼロに」が掲げられています。
先進国の人々が、食べ過ぎや飲み過ぎで病気になっている一方で、地域によっては食糧不足によって困窮し、苦しんでいる人々が多数存在することは皮肉な現状であり、世界にとっては深刻な課題として考えなければなりません。
飢餓や貧困によって命を落とす人が多数存在するという社会が良い社会のはずがなく、私たちも真剣に考え、できることをしなければなりません。
まず大事なのは、フードロスをなくすということです。
まだ食べられる食料を捨てざるを得ない状況というのは、決して健全な社会ではなく、その分を飢餓で苦しんでいる人々に分け与えることが必要だと思います。
私たちが健康でいるためにも、そして飢餓をなくすためにも、何ができるのか、改めて考えてみましょう。