喜んだ人は喜びの種を忘れるが、悲しんだ人は悲しみの種を忘れない。
by マルクス・トゥッリウス・キケロ
あなたは、幸福の種が何かを考えたことがありますか?
タイトルの言葉は、古代ローマの政治家で哲学者でもあるマルクス・トゥッリウス・キケロの言葉です。
悲しみの種は決して忘れることはないが、喜びの種は忘れてしまうという、人間の悲しい性(さが)を述べた深いメッセージですね。
私たち人は、人生の中で悲しい出来事やつらい経験をすると、そのことを決して忘れることはありません。
例えば事故に遭って、大怪我をした場合、その事故のことは、決して忘れることはないはずです。
事故から何十年たったとしても、「あのときはつらかったなあ」と思い出すことがあるというわけです。
しかし反対に、人間は喜びや幸福を感じたことは、なぜ喜んだのか、なぜ幸福だったのか、その原因、種を忘れてしまうものです。
人生の中では、嬉しい気持ちになったり、喜びを感じること、幸福だと感じる出来事はたくさんあると思います。
しかし、その出来事が起きた後、「あの日は幸せだったなあ」と、しばらくは覚えていることがあったとしても、例えば3年後、5年後、10年後には、忘れてしまうものです。
人は、自分にとって都合の悪いことや悲しいことは、強く印象に残ってしまい、忘れることができないわけですが、喜びや幸福感というものは、それを当たり前に感じてしまい、強く印象に残らないものなのです。
例えば、映画を見るときにも、ハッピーエンドで終わる映画のストーリーは、何年か経てば忘れてしままいますが、残酷なシーンや恐怖映像などは、強く印象に残ってしまうことと似ています。
それと、お金を借りた人は、借りたことを忘れてしまいますが、貸した人は、たとえわずかな金額であっても決して忘れないものです。
私たちとすれば、悲しい出来事を忘れて、喜びの出来事をいつまでも忘れないような人生を送りたいものですが、現実は難しいのかもしれませんね。
悲しみの種を増やさないように、そして、誰かを悲しませることのないように、生きていきたいものですね。
SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が提唱している世界共通の行動目標です。
SDGsの活動は、世界中の人々の悲しみの種を少しでも減らそうと、社会をより良く改善していこうとする行動です。
戦争やテロ、貧困や飢餓、人権侵害など、あってはならない出来事が世界各地で減少する兆しが全く見られないわけですが、私たちの行動によって、少しでも改善できるように、これからも活動を継続していきたいものですね。