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人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、心の本体は無善無悪。

人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、心の本体は無善無悪。その混沌からほとばしるものこそが真の善である。
by 王陽明

あなたは物事を全て善悪で判断していませんか?

見出しの言葉は、中国の明の時代の儒学者 王陽明の言葉です。
物事全てを善悪で判断してしまうことの無意味さを述べた深い名言ですね。

とかく人間というのは、物事や行動を善か悪かで判断することがよくあります。
例えば、勤勉なことは善であり、怠惰なことは悪だと判断します。
法を守ることは善であり、法を侵すことは悪である。
人を褒めるのは善であり、人をけなすのは悪である。
正直な人は善であり、嘘つきは悪である。
挙げればキリがありませんよね。

しかし、物事や行動を全て善か悪かで判断してしまうことは、視野が狭く、柔軟性に欠けると言われても仕方ありません。
例えば、仕事中にサボっている(ように見える)人がいたとしても、その人は体調が悪くて休んでいるだけかもしれませんし、単に休憩時間中なのかもしれません。
人を褒めている人がいたとしても、それは善意からではなく、言葉巧みに相手をだまそうとしている詐欺師かもしれません。
嘘をついている人がいたとしても、その人は大切な人を守るために嘘をついたのかもしれません。
つまり、その行動や物事だけで、その人を善人とか悪人などと判断してはいけないのです。

もちろん、本当の意味での善、悪というものはあります。
悪意を持って人を傷つけたり騙したりしている人は本当の意味での悪と言えますし、世のため人のために一生懸命に社会貢献している人は本当の意味での善と言えるわけです。
しかし、表面に見えている部分だけで、人の善悪を判断してしまうのは大きな間違いを引き起こす可能性があります。
気をつけましょう。

SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が発表している世界共通の行動目標です。
SDGsの活動をしている人や行動が、すべて善と判断することはもちろんできません。
中には、邪(よこしま)な考えを持っている人や、イヤイヤ参加している人もいるはずです。

しかし、未来の地球や人類のことを憂いて、真剣な気持ちで活動している人もたくさんいることも事実です。
SDGsの活動も、社会にとっての善悪で判断するのではなく、自分たちのため、自分の子や孫の世代のためにという思いで実践できれば、取り組みやすいのではないかと思います。
そんな利己的な考えが、案外、社会貢献へとつながっていくものなのです。
まずは、自分のために、家族のために活動を始めてみましょう。

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