雑草も花なんだよ。一度それと知り合いになるとね。
「くまのプーさん」より
あなたは、周りの風景に目を配っていますか?
タイトルの言葉は、皆様御存知の児童小説「くまのプーさん」の中のセリフの一節です。
名も知らぬ雑草であっても、よく見ると花が咲いており、愛着を感じるものなのだと述べた深いメッセージですね。
私たちは、「雑草」と聞くと、草むしりをしなくてはいけない迷惑なものとしてとらえ、良い印象を持つ人はほとんどいないでしょう。
特に自宅の庭などに生えていると、邪魔なものとして扱い、わざわざ草むしりをしなければならない厄介なものとして感じることでしょう。
そんな迷惑に思える雑草ですが、よく見てみると、小さな花が咲いていたり、葉が美しく輝いていたり、蝶が舞っていたりして、自然の恵み、美しさを感じることがあります。
一口に雑草といっても、「雑草」という名の植物はなく、すべての草花には名前がついています。
私たちは、その雑草の名前なんてほとんど知りませんが、その雑草と扱われている草も、懸命に生きている生き物であり、植物の一種であることは間違いありません。
ときには、こんな雑草にも目を配ることも良いかもしれません。
単に、邪魔な存在、迷惑なものとして扱うのではなく、「この草も同じ時代を生きているんだ」とか「縁あって私の家に生えてきたのね」などと思うことで、少し心に変化が生まれることもあるかもしれません。
この世には、無意味なもの、存在してはいけないものなどないのです。
雑草も植物の一種であり、緑を形成し、光合成によって酸素を排出しているわけで、この世界の役に立っている存在なのです。
それを単に邪魔で迷惑な存在として扱うのは、雑草の立場から考えると気の毒な気にもなってきます。
私たちと同じ時代を生きている存在として、少しでも優しさ、愛着を持つような心を持ちたいものですね。
SDGsは、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が定めている世界共通の行動目標です。
SDGsの活動をする際に、自分に関心のないこと、興味のないことに関しては、まるで雑草のように、全く無視したり、邪魔な存在として扱うことがあるかもしれませんが、少しでも目を配るような気持ちを持つようにしてください。
たとえ自分が関心のないことであっても、その分野に一生懸命に取り組んでいる人もいれば、困難な課題として社会問題化していることかもしれません。
全く関心がないと無視するのではなく、少しでも目を配り、寄り添うような気持ちを持つようにしてください。
今後、自分の生き方に影響を与えるかもしれませんし、何かを学べることになるかもしれないからです。
何かを忌み嫌うのではなく、あらゆるものに愛着を持てるような心を持ち続けていきたいものですね。
