雑念を捨て去り、澄みきった心を持てたならそれが人生最良のとき。
by 無門慧開(むもんえかい)
あなたは雑念を捨て去り、澄み切った心を持っていますか?
タイトルの言葉は、中国の南宋時代の僧侶 無門慧開の言葉です。
私たちは、心の中にある雑念をすべて捨て去り、澄み切った心を持てたとしたら、それこそが人生最良のときなのだと述べた深いメッセージですね。
私たちは、生きていく中で、雑念を持ってしまうことがありますよね。
ほとんどの時間に、常に雑念を持ち続けている人も多いことと思います。
雑念とは、「ある一つのことに集中しようとするときに妨げとなる、余計な考えや煩悩のこと」です。
何かに集中して取り組まなければならないときに、心の中に無関係に浮かんでくる思考や感情のことを雑念と呼びます。
仕事や勉強中に、本来であれば、仕事や勉強に集中して、やらなければならないのに、全く無関係なことが頭に浮かんだり、不安や欲望が心の中に浮かんでくることがあります。
それが雑念というものです。
例えば、仕事や勉強中に、「今日は何を食べようかな」とか「明日はこんなことをしたいな」などと、仕事や勉強とは全く無関係のことが頭に浮かんでくることがあります。
また、「失敗したらどうしよう」とか「こんなことを続けて意味があるのかな」などと不安になり、余計な感情が芽生えてしまうこともあるかもしれません。
それに、周りの人の行動や騒音などによって、集中力を妨げられるなど、外部からの刺激によって怒りを覚えることもあるかもしれません。
上記のように、自分がやるべきことに集中できずに、無関係なことが心に思い浮かぶこれらの欲望や感情は、全て雑念と呼んでも良いでしょう。
集中力を妨げてしまうこれらの感情が心の中に少しでもあると、本来、やらなければならないことができなくなったり、遅れたりして、自分の行動に制限や影響が出ることも少なくないというわけです。
しかし、ときには時間がたつのも忘れて、仕事や勉強に集中できたり、ゲームや趣味に夢中になって没頭できたりなど、心に雑念が全くない状態で時間を過ごすことも少なくないはずです。
そんな雑念が全くない状態でいることは、人間にとって最良の時間なのだと、無門慧開は述べているわけです。
何かに夢中になって、一つのことに集中できるというのは、私たちにとって至福の時間であり、最高に幸福な時間であることを意識しながら、今後も生きていきましょう。
反対に雑念ばかり考えてしまう時間もあるかもしれません。
嫌いな人間、苦手な人間のことばかりを考えてしまったり、不安や怒りで心がいっぱいになり、何も手につかなくなってしまうときがあるかもしれません。
そんな時間は、ストレスがたまりますし、本来やるべき行動にも制限がかかるので、私たちにとってはとても不幸な時間と言えます。
雑念を捨て去り、何かに集中して取り組めることはとても幸福なことです。
そんな時間を過ごせるように、常に心掛けながら、今後も生きていきたいものですね。
