凡と非凡の分かれるところは能力のいかんではない。精神であり感激の問題だ。
by 安岡正篤
あなたは感動したり、感激することがよくありますか?
タイトルの言葉は、哲学者、思想家の安岡正篤(まさひろ)の言葉です。
凡人か非凡な人かの分かれ道は、精神的なことであり、物事に感激するかどうかだと述べた深いメッセージですね。
私たちの周りにはいろんな人がいるわけですが、ほとんどの人が凡人と言われる普通の人なわけですが、中には非凡な能力を持っている人もいますよね。
私たちが非凡な人だと思う人、つまりとても優秀な人だと思える人は、生まれつき能力の高い人だとか、相当の努力をする人だと思われがちですが、哲学者で思想家の安岡正篤は、そうではないと断言しています。
非凡な人というのは、能力が高いわけではなく、精神的に私たち凡人とは少し違うだけだと述べています。
精神的にどう違うのかというと、物事に感激する人かどうかだと述べているのです。
なぜ感激する人が優秀な人なのか?
それは、私たち凡人は、興味関心のあることに関しては、感激することはあっても、全く関心のないことであれば、感激することなんてありません。
しかし、非凡な人は違うのです。
普段、関心のないことであっても、美しいものや少し変化のあることに対して感動したり、興味を持ったりできるということです。
例えば、凡人であれば、道端に咲いている小さな花に目を向けることはありませんが、非凡な人は、なぜこんな場所で咲いているのだろうと、感激したり、心を動かされたりできるというわけです。
そして、それを調査、研究しようとするわけです。
つまり、非凡な人というのは、多様な目を持ち、いろんなことに関心を示すことができることから、凡人にはない高い能力を発揮できるというわけです。
普段からすぐに感激する人、全く感激しない人など、私たちの周りにはいろんな人がいるわけですが、あまり感激しない人というのは、何かに関心、興味を持つことが少ないので、何かに没頭したり、研究しようとする気持ちが希薄で、非凡な人にはなりにくいのかもしれません。
人として成長するためにも、ちょっとしたことでも感激できるような、そんな人間でありたいものですね。
SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が定めている世界共通の行動目標です。
SDGsの活動をしている人たちは、未来の地球と人類のことを憂い、何とかしなければという思いから行動している人が多いことと思います。
つまり、その人の能力が高いかどうかではなく、SDGsに興味関心を持てたことから始めたわけです。
もちろん、SDGsの活動をしている人が非凡な人だと断定するわけではありませんが、精神的なことが活動に影響を与えたことは事実です。
SDGsの活動に一生懸命に取り組めば、感動したり、心を動かされることもあるはずです。
さあ皆様も活動に参加してみませんか?