人にものを教えることはできない。みずから気づく手助けができるだけだ。
by ガリレオ・ガリレイ
あなたは誰かに何かを教えようとしていませんか?
タイトルの言葉は、イタリアの天文学者、物理学者であるガリレオ・ガリレイの言葉です。
私たちは、人にものを教えることはできず、自ら気づく手助けができるだけなのだと、教育の本質を突いた深いメッセージですね。
私たちは、子供の頃から学校に通い、教育を受けながら生きてきました。
そして、大人になってからも、さまざまさなことを学び、自分の知識を得たり、技術力アップを図ってきたと言えます。
しかし、私たちが何かを学び、その知識や技術を得ることができたのは、誰かから教わってきたからという単純な論理ではないことに気付きましょう。
あなた自身が、学ぼうとする意欲があり、知識を得ようとか、能力アップしたいという気持ちががあったからに他なりません。
もっとわかりやすく述べると、人に教えることは難しく、その手助けができるだけなのだということです。
例えば、先生が生徒に勉強を教えるとします。
しかし、先生は生徒全員に平等に勉強を教えることは不可能です。
教える科目にもよりますが、生徒一人ひとりが全てその科目に興味関心があるわけではないからです。
その科目が好きな生徒であれば、真剣に一生懸命に学ぼうとするでしょう。
しかし、その科目が苦手だったり、興味関心が薄ければ、おそらく先生の授業を真剣に聞こうとはしないはずです。
つまり、学ぶことは、本人にやる気がなければ、学ばせることはとても難しいというわけです。
先生にできることは、生徒に教えることではなく、その手助けができるだけだということになるわけです。
人に教えるというのはそれほど難しいということになります。
反対に、人に教わろうとすることはとても簡単です。
なぜなら、本人が知識や技術を得ようと、真剣に学ぼうという意欲が強いからです。
しかし、興味がない人や学ぼうという意欲が薄い人は、学びたいと思わないわけですから、人から教わろうという気持ちにはならないのです。
教える立場にある人にとっては、その対象になる人たちがどんな気持ちで学ぼうとしているかによって、モチベーションが変わってきます。
やる気がある人ばかりならば、教えがいがありますし、すぐに成果が上がることでしょう。
しかし、やる気がない人ばかりならば、いくら真剣に教えようとしても、なかなか成果を上げることは難しく、その手助けができるだけなのです。
学びとは、自ら積極的に学ぼうとする気持ちがなければ、ほとんど成果が出ないということです。
私たちにとって最も必要なのは、自分が真剣に学ぼうとする意志であって、誰から学ぶべきかではないのです。
そして、人に教えるということは、相手のやる気やモチベーションによっては、成果を上げることはできず、その手助けができるだけだということです。
いくら教えてもダメなことはあります。
それは教え方ではなく、本人のやる気の問題であることが多いことも覚えておくと良いでしょう。
