偉人、著名人

あるべきという過剰な模範意識は、憎しみの変装した姿です。by 加藤諦三

あるべきという過剰な模範意識は、憎しみの変装した姿です。
by 加藤諦三

あなたは、「こうあるべき」という意識を強く持っていませんか?

タイトルの言葉は、早稲田大学名誉教授で社会学者の加藤諦三先生の言葉です。
「こうあるべき」という過剰な模範意識は、憎しみという感情を招いてしまうと述べた深いメッセージですね。

私たち人は、法律やルールなどに従って生きていかなければならないことは、言うまでもありません。
ルールがなければ社会が乱れてしまいますし、ルールがあるからこそ、私たちが平穏に、安心して暮らすことができるわけです。

しかし、あまりにも過剰すぎる模範意識は、かえって憎しみの感情を生み出すことになりかねません。
「こうあるべき」とか「こんなことはしてはいけない」という意識が強すぎると、それを逸脱した人を見ると、異常に腹を立てることになるからです。
少しだけルールに反する行為をした人を見て、「あいつは悪い奴だ」とか「ダメな奴」だと思い込み、その人を強く非難したり、憎しみの感情を持ってしまうとすれば、それは過剰な反応ということになってしまいます。
そんな人は、正義感という意識が強く現れ、自分は間違っておらず、相手が間違っていると思い込んでいるので、誰の言葉も耳に入らないでしょう。

例えば、車の煽り運転がまさにこれに当たります。
相手が少しルールに反する行為をしたからといって、執拗に煽り運転をするような運転手の方がよっぽど悪質な人間ですよね。

正義感があることは悪いことではありませんが、それがあまりにも強く、相手を非難したり、憎しみの感情を抱くことは、あまり良い言動とは言えません。
なぜなら、憎しみという感情は、ときに相手を懲らしめるような行為、もしくは復讐という行為に発展しかねないからです。
その方が、少しのルール違反よりもよっぽど悪質で深刻な事態です。

模範意識を持つことはもちろん良いことですが、過剰なまでの模範意識は身を滅ぼすことにつながりかねないことを決して忘れないようにしてください。

SDGsは、2030年に向けて、持続可能な社会の実現を目指し、理想的でより良い世界を創り出すために、国連が提唱している世界共通の行動目標です。

SDGsの活動においても、過剰な模範意識を持つことはやめましょう。
活動をする上で、適度な模範意識はもちろん必須ですが、「こうすべきだ」とか「こうあるべき」だという意識があまりにも強すぎると、それを少しでも逸脱した人に対し、異常なほどの嫌悪感を抱くことにつながりかねないからです。
そうすると、周りの人との軋轢やトラブルになりかねず、活動にも悪影響が出ることになります。

ルールを守ることは基本でありますが、異常なまでの正義感は、反対に信頼を失い、人との関係を壊しかねないのです。
SDGsの活動においても決して忘れないようにしてください。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で