未熟さとは、他人の指導なしでは自分の知性を使うことができないということである。
by イマヌエル・カント
あなたは、他人の指導がなくても、一人で仕事をこなすことができますか?
タイトルの言葉は、ドイツの哲学者 イマヌエル・カントの言葉です。
未熟さというのは、他人の指導や助けがなければ、自分の知性や能力を使いこなすことができない人のことだと述べた深いメッセージですね。
私たちは、大人になれば社会人として仕事をするわけですが、仕事のできる人、できない人がいますよね。
仕事をする際に、誰にも頼ることなく、一人で仕事をこなす人もいれば、誰かの助言なしには仕事のできない人もいます。
いわば、成熟した人と未熟な人がいるわけです。
ドイツの哲学者 カントは、未熟な人の定義として、他人の指導なしでは自分の知性を使うことができない人のことだと述べています。
仕事をする際には、自分の手と足を使い、自分で考えながら実行するので、自分の知性を使うということになります。
その自分の知性を使うのに、他人の指導なしでは困難な人のことを未熟だと述べているわけです。
他人から教えを受けながら、もしくは助けてもらいながらでないと、うまく仕事ができないのだとすれば、確かに未熟な人と言われても仕方がないかもしれません。
自分のやるべき仕事をすべて覚え、誰の指導も助言も必要なく、そつなく仕事をこなせるとしたら、それは未熟な人とはいえず、成熟した人と呼ぶべきです。
年齢が若いかどうかとか、経験が短いからとかは、あまり関係ありません。
誰の指導も助言も要らず、きちんと仕事ができるのであれば、若くて経験が浅い人であっても、未熟ではなく、成熟した人と言えるのです。
年長者や経験年数が長い人であっても、いつまでたっても誰かの指導なしでは仕事ができないのであれば、それは未熟な人なのです。
私たちは、年長者や経験年数の長い人を見ると、つい「ベテラン」だとか、「円熟者」という目で見がちですが、そうとは限らないのです。
若くて経験が浅くても仕事ができる人もいれば、年長で経験が長くても仕事ができずにいつまでも未熟な人もいるのです。
それは、仕事に取り組む姿勢とか、モチベーションの高さ、その人のやる気、性格に影響するのです。
仕事をする際には、自分のやるべきことをきちんとこなし、いつまでたっても未熟者と言われないように、成熟した社会人として活躍していきたいものです。
そのためには、仕事を早く覚え、誠実に自分のやるべきことを実践し、常に学習するという気持ちを忘れないで取り組むことが大切になるのです。
